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1 風吹けば名無し 2012/05/25(金) 16:33:27.71 ID:5UTc0d0/
そしたら西口の球数が120を超えてたんですよ
あー こりゃヤバいかなあーって
フッと気がつくとマウンドにいるはずの西口がいなくなって
岡本篤が投げてるんですよ
嫌だなぁ~怖いなぁ~って
気がついた時には3点あったはずのリードが

無くなっていたんです

かつてジョン・パーミントンという人気作家がいた。彼の書く小説は評判も上々で、売れ行きも決して悪くはなかった。
ある日彼が、最新作「海の英雄」を書き上げた時、この小説をもっと効果的に宣伝する方法はないものかとあれこれ考え始めた。

そしてこの時彼が思いついた方法というのは、小説の一部を抜粋して紙に書き、それをビンに入れて海に流すという方法であった。流されたビンは海流に乗って色々な場所にたどり着き、国境を越えて多くの人々が読むかも知れない。

まさしくロマンチックで夢のある宣伝方法である。小説の一部を入れたビンは全部で2000個ぐらい用意され、それぞれが海に流された。そしてこの、手の込んだ宣伝方法は効果を上げ、最新作「海の英雄」は、かなりの売れ行きを示したのである。



そしてそれから16年後、偶然にも小説と同じ名前の「海の英雄号」は実在し、航海に出ていた。
この「海の英雄号」は、大西洋からマゼラン海峡を通過して太平洋へ渡り、そしてインドへと向かっていた。しかしこの航海中に大変な事件が起こってしまったのである。

日ごろから船長と仲の悪かった、ある下士官の一人が謀反を企て、水夫たちと一緒にその船を乗っ取ってしまったのだ。
船長や航海士の多くは殺され、船は航路を変更してアマゾン川をさかのぼることとなった。


そしてところは変わり、この事件とほとんど同じ時刻、すぐ近くの海域ではブラジルの戦艦「アラグリア号」が航海中であった。
午前8時、「アラグリア号」の水兵が、水温を調べるために海水にバケツをつけて水を汲み上げている時に、波に漂う小さなビンを発見した。何だろうと思い、ビンを拾い上げてみると中には小さな紙切れが入っていた。

どうやら紙切れには英語で何か書いてあるらしいが、水兵は英語が読めない。そこで艦長に報告し、この紙切れを艦長に手渡した。艦長がその紙切れを読んでみると、「海の英雄号」からの緊急発信であった。

「船で反乱が起こった。私は奴らに殺されるかも知れない。一等航海士も船長も殺されて海に投げ込まれた。私は二等航海士であるが、船をベレンへ向けるために生かされている。至急救助願う。現在位置は〇〇。海の英雄号。」

アラグリア号の艦長が確認を取ったところ、「海の英雄号」は、実在する船であることが分かった。メッセージに示されている現在位置もこの場所から近い。「これは本物の救助信号だ!」アラグリア号の艦長はそう確信し、すぐに海の英雄号の救助に向かった。


そして2時間後、海の英雄号は発見された。反乱は確かに起こっていたが、アラグリア号の乗組員は全員兵士だったので圧倒的な力でその反乱を鎮圧し、他の乗客も救助することができた。

「この、ビンに入った手紙を発見してすぐ救助に飛んできたんだ!」
アラグリア号の艦長はそう言いながら二等航海士にその紙切れを見せた。だが当の二等航海士は、そのようなメッセージは書いた覚えがないという。書きたくても常に見張らていたので、手紙を書いてビンに入れるような余裕はなかったらしい。

そこで生き残った者、全員に聞いても誰も見覚えがないという。他の乗客の命を救った大変なメッセージであるのに、結局誰が書いたのか、分からずじまいだった。


だがそれから1年後、偶然その手紙の送り主が判明した。手紙の送り主は、海の英雄号の乗組員の誰でもなく、16年前にジョン・パーミントンが、自分の小説「海の英雄」の宣伝のために・・あの時流した2000個のビンのうちの一つだったのだ。

このビンが海流に乗ってブラジルの方まで流されていき、16年前に書かれた小説と全く同じ事件があった場所まで流れつき、そして小説のタイトルと実際の船の名前も同じ、そしてそのビンに入っていた小説の一部が救助を求める内容であったこと・・・これらの天文学的な確率ともいえるような偶然が重なり、海の英雄号は救助されたのである。

この驚くべき偶然はイギリス本国でも報道され、大変な反響を巻き起こした。

超能力や予知能力と聞けば、誰しもロト6の次の当たり番号や明日の競馬の勝ち馬などが分かれば瞬く間に大金持ちになれるのに、と考えるものである。もっとも現実はそう甘くはないが、しかしこのような能力を持った人間が実際にこの世にいた。

イギリスのピーター・フェアリーは、あるテレビ局で働く普通のサラリーマンであったが、給料前でも金に困ったことがなく、欲しい物は次々と買ったりして、やけに羽振りのいい生活を送っていた。同僚が尋ねても「競馬で稼いだのさ。」と言うだけで詳しくは語らない。「競馬にしちゃ、やけに勝ちが続くな。」と言われても「なーに、たまたま運がいいだけさ。」といった調子である。

運にしては勝ちが続きすぎるし、あまりにも稼ぎすぎである。しかもピーター自身の競馬に関する知識はお粗末なものであった。もっともこの頃には決して他人に話すことはなかったが、実はピーターは夢の中に出てくるシーンや、車を運転中に聞こえてくる声などで、未来のレースの結果を知っていたのである。



ピーターに初めてこういった不思議なことが起こったのは1965年のダービーの直前だった。ある日彼はラジオを聞きながら車を運転していると、ラジオからしきりに「ブレイクニュー夫人、ブレイクニュー夫人」という言葉が聞こえてくるような気がした。

その声に気を取られたのか、彼は道に迷ってしまった。見知らぬ場所に出てふと看板を見ると「ブレイクニュー村」と書かれてある。

道を調べなおして、やっと仕事先に到着すると、そこで彼が最初に聞いた言葉も「ブレイクニュー」という言葉だった。さっきからつきまとっているこの言葉・・。「ブレイクニュー」とは一体何なのだろうと同僚聞いてみたところ、明日のダービーに出走する馬だということが分かった。

しかし前評判はかなり低い。だがピーターは、何かピンときて、この馬に賭けてみたところ大当たりで、この1レースだけでかなり稼ぐことが出来た。

その後は能力が目覚めたのか、出走表を見ただけで一着になる馬が分かるようになってきた。また、夢の中で明日の新聞を読んでいるシーンが見えたり、あるいは自分が競馬場にいて勝利の瞬間を見ている場面などが見えてくるようになった。

この能力は段々と強くなり、ピーターはどのレースを買っても100発100中で当たるようになった。当然稼ぎも驚くほどの金額が手に入るようになったのである。


だが彼は1976年、ついにこの秘密をテレビで喋ってしまった。イギリスのBBCテレビが、「競馬の結果を夢で知ることが出来る男」を主人公にしたドラマを放映した時、彼は我慢できなくなり、「それはドラマだけの話ではなく、実際に出来る人間がここにいるのだ!」と名乗り出てしまったのである。

イギリス全土に放映された番組の中でインタビューに応じた彼は、それからすっかり馬券を買いにくくなってしまった。ピーターが買う馬券と同じものに全財産突っ込む人間だっているかもしれない。そんな考えもあってか、やがて彼は競馬からは遠のいてしまった。

もっとも同僚の話によると「彼は今まで十分過ぎるほど儲けてきたからね。別に今後は競馬で稼がなくても、もう莫大な資産があるから十分だろう。」ということだった。
silonic:

(silonica.but.jp/rabbit.htmlから)

死んだ女性がホステスというのはガセ。隠蔽工作に騙されるな。

矢田と結婚して矢田の人気を地に落とした押尾が AV会社桃太郎の社長の元嫁で下着販売ピーチジョンの社長野口の遊び用の部屋で浜崎あゆみの親友の豊田夏来とドラッグパーティーをし、セクロスをし その結果死なせてしまい、マネージャーに連絡した上で逃走
マネージャーが119番通報をした上で、会社に連絡をし その結果、押尾先生は解雇
警察は押尾先生を逮捕した
・一緒にいて死んだ女は豊田夏来
・浜崎あゆみとは、以前一緒に住んでいたほどの大親友(最近はつるんでなかったらしい)
・トヨタ自動車一族の令嬢
※ーニング&トヨタの圧力じゃ、そりゃ名前が出ないはずだわ。

yoimachi:

荒井萌

yoimachi:

荒井萌

フォロワーが投稿したけどすぐ消したpostを消す前にrblgする善意に満ちたタンブリスタ
先日、たまたまテレビを何気なくつけると(いつもはテレビは見ないけど)みのもんたの「歴史ミステリー」という番組をやっていて、ここで、不食の人物について取り上げていたので、観てみることに。

私は1年ほど前から、不食の人たちがこの世に現在10,000人ほどいる事は聞いてましたが、この女性の話は初耳でした。

その驚愕の不食の人物とは、24年間、水以外なにも口にしなかったという日本の女性で、名前は、長南年恵(ちょうなんとしえ)という。

NASAも注目しているということらしい。

彼女については、「大抗議長南年恵刀自集」という、鶴岡市役所が所有保管する長南年恵の研究をまとめた文献があるのだそう。

この文献によると、彼女は、20歳のころから全く食事をとらず、口にするものは生水程度であったという。

また、空気中から霊水などの様々な物を取り出すなど、様々な現象を起こしているのだといいます。

この霊水は万病に効き、どんな病気でも治してしまうという水であったといいます。

この霊水は、彼女の噂を聞き、病気を治したいと名乗りでた人たちに与えられていましたが、

この彼女の行為は、やがて社会にも波紋を呼び、新聞誌などから彼女の超能力を疑う論調が出始め、彼女はやがて疑いをかけられ、明治33年12月12日、神戸地方裁判所にて、裁判にかけられる事になります。

牢獄生活中、監視の見守る中、ただの一度も食べ物を口にしなかったといいます。

裁判中、実際霊水を出すようにとの要望に年恵は応え、何もない密室に全裸で入れられ、封をし、サインまでして詐欺行為の行えないような密封状態にした瓶を渡されたそうです。

5分も経たないうちに彼女は、茶褐色の霊水の入った瓶を持って、法廷に再び現れたそう。

瓶は霊水で満たされ、瓶の口は密封されたままだったという。

裁判の結果は、「無罪」。

{記録によれば、5分も経たず霊水を持って現れたのは、とにかく不思議である。}と記録されているそうです。


国の機関の裁判所で、超能力を認めたというのは前代未聞だと、弁護士の田中喜代重さんが最後に語ってました。


彼女の存在によって、人は、自分達が常識だと思っていた事だけが全てではない、という事を証明する、一つの大きな役割を果たしたのではないかな、と思いました。

長南 年恵(おさなみ としえ 1863年12月6日(文久3年10月26日) - 1907年(明治40年)10月29日)は、明治時代の霊能者、超能力者。現在の山形県鶴岡市出身。本名、登志恵(鶴岡市戸籍研究による)[1]。

20歳のころからほとんど食事をとらず、口にするものは生水程度であったという。また、空気中から神水などの様々な物を取り出すなど、多くの不思議な現象を起こしている。

長南 年恵(おさなみ としえ)は、1863年12月6日(文久3年10月26日)羽前国庄内高畑(現在の山形県鶴岡市日吉町[2])に、庄内藩士の長女として生まれる。20歳のころまでの記録は不明だが、1874年(明治7年)に鶴岡に小学校が開校した際には入学出来ず、子守奉公をしていたところ、次第に予言めいた言葉を口走る様になり、噂を聞きつけた住民の相談に乗るうち、奉公先から巫女として開業することを薦められたという説がある[2]。弟の長南雄吉は、大阪浦江にあった大日本蓄電池株式会社の専務取締役で、雄吉が見た年恵の20歳以後の超常現象などの記録を、後年、心霊研究家の浅野和三郎がまとめて発表している[3]。

1907年(明治40年)10月29日)死亡。享年(かぞえ年齢)45歳。しかし満年齢では従来44歳と思われてきたが、生年を旧暦で没年を太陽暦で計算するという矛盾から錯誤した年齢であって、太陽暦で正確に計算すると満43歳10カ月であった。2006年11月3日には年恵の没後百年をしのび「長南年恵100年祭」が、年恵の墓のある鶴岡市の般若寺にて行われた[2]。

成人してからも肉体的、精神的に少女のようであったという。また身辺には頻繁に神仏が現れ、会話をしたり、舞を舞っていたという。
元々小食であったが、20歳のころから全く食事をとらず、生水の他は生のサツマイモを少量のみという。
排泄物は殆ど無かったという。また汗や垢といったものも殆ど出ず、風呂に入らなくても髪や体はいつも清潔であったという。
空気中からとりだす神水は、密封した空の一升瓶の中に人々の目の前で満たしたという。この神水は万病に効くという。
べつに病人などではなく冷やかし等の目的の者と不治の病人には、神水は授からず、空瓶のままだったそうだ。
神水(霊水)の色について:赤、青、黄など様々な色があったそうだ。無罪となった裁判所での公判では、茶褐色。
1900年(明治33年)7月9日。全国紙新聞記者が懐疑の目を向け、目の前で霊水引寄せをしろと要求した。その結果、ひとりでに水が入ったのを認めざるを得ないという結論に至ったという[4]。

■逮捕、裁判

1895年(明治28年)、長南年恵は詐欺行為(神水を用いて、医師の資格なしに病気治療と称するを行ったとして)を行ったとして、逮捕された。山形県監獄鶴岡支署に7月から60日間勾留されたが、証拠不十分で釈放されている。この勾留期間中、様々な現象が起きたという。

勾留期間、一切の排泄物が無かった。入浴が許されていなかったが、常に髪は清潔であり、体臭も無く、良い香りがしたという。
勾留期間、一切食事を取らなかった。
完全に外部と遮断された監房内で、「神水」「お守り」「経文」「散薬」などを空気中から取り出したという。
長期の拘留生活で足腰が弱って当然なのに、一升瓶15本分もある水の入った大樽を軽々と運んだ。
収監者の中で、ただ一人蚊に刺されなかった。
複数の係官が不思議な笛の音を聞いたという。

1896年(明治29年)、2度目の逮捕、山形県監獄鶴岡支署に10月10日より一週間拘置される。
1900年(明治33年)、3度目の逮捕、大阪空堀町にある弟の長南雄吉の所に身を寄せている時8月ごろ、新聞記事から騒ぎが大きくなり、10日間拘置される。
1900年(明治33年)12月12日、この拘置に対して、神戸地方裁判所で再審が行われた。尋問後、裁判長が自ら密封し封印をした空きビンを渡し、空きビンに神水を満たせるかを詰問したところ、長南年恵はできるといったという。この実験の前に長南年恵は全裸にされ、身体を厳重に調べられ、密閉空間の別室に閉じ込められた。この別室で精神を集中した長南年恵は、わずか2分ほどで空きビンに神水を満たし、裁判長に渡したという。判決は無罪となり、裁判長はその水を持ち帰ったという[5][6][7]。