1 風吹けば名無し 2012/05/25(金) 16:33:27.71 ID:5UTc0d0/
そしたら西口の球数が120を超えてたんですよ
あー こりゃヤバいかなあーって
フッと気がつくとマウンドにいるはずの西口がいなくなって
岡本篤が投げてるんですよ
嫌だなぁ~怖いなぁ~って
気がついた時には3点あったはずのリードが
無くなっていたんです
| — | 稲川淳二 「西武勝ってるなーって (via caravanserai) |
1 風吹けば名無し 2012/05/25(金) 16:33:27.71 ID:5UTc0d0/
そしたら西口の球数が120を超えてたんですよ
あー こりゃヤバいかなあーって
フッと気がつくとマウンドにいるはずの西口がいなくなって
岡本篤が投げてるんですよ
嫌だなぁ~怖いなぁ~って
気がついた時には3点あったはずのリードが
無くなっていたんです
| — | 稲川淳二 「西武勝ってるなーって (via caravanserai) |
かつてジョン・パーミントンという人気作家がいた。彼の書く小説は評判も上々で、売れ行きも決して悪くはなかった。
ある日彼が、最新作「海の英雄」を書き上げた時、この小説をもっと効果的に宣伝する方法はないものかとあれこれ考え始めた。
そしてこの時彼が思いついた方法というのは、小説の一部を抜粋して紙に書き、それをビンに入れて海に流すという方法であった。流されたビンは海流に乗って色々な場所にたどり着き、国境を越えて多くの人々が読むかも知れない。
まさしくロマンチックで夢のある宣伝方法である。小説の一部を入れたビンは全部で2000個ぐらい用意され、それぞれが海に流された。そしてこの、手の込んだ宣伝方法は効果を上げ、最新作「海の英雄」は、かなりの売れ行きを示したのである。
| — | No.49 驚異的な偶然・16年前の小説が一隻の船を救った (via petapeta) |
超能力や予知能力と聞けば、誰しもロト6の次の当たり番号や明日の競馬の勝ち馬などが分かれば瞬く間に大金持ちになれるのに、と考えるものである。もっとも現実はそう甘くはないが、しかしこのような能力を持った人間が実際にこの世にいた。
イギリスのピーター・フェアリーは、あるテレビ局で働く普通のサラリーマンであったが、給料前でも金に困ったことがなく、欲しい物は次々と買ったりして、やけに羽振りのいい生活を送っていた。同僚が尋ねても「競馬で稼いだのさ。」と言うだけで詳しくは語らない。「競馬にしちゃ、やけに勝ちが続くな。」と言われても「なーに、たまたま運がいいだけさ。」といった調子である。
運にしては勝ちが続きすぎるし、あまりにも稼ぎすぎである。しかもピーター自身の競馬に関する知識はお粗末なものであった。もっともこの頃には決して他人に話すことはなかったが、実はピーターは夢の中に出てくるシーンや、車を運転中に聞こえてくる声などで、未来のレースの結果を知っていたのである。
| — | No.38 明日の競馬の結果が分かる超能力 (via petapeta) |
死んだ女性がホステスというのはガセ。隠蔽工作に騙されるな。
矢田と結婚して矢田の人気を地に落とした押尾が AV会社桃太郎の社長の元嫁で下着販売ピーチジョンの社長野口の遊び用の部屋で浜崎あゆみの親友の豊田夏来とドラッグパーティーをし、セクロスをし その結果死なせてしまい、マネージャーに連絡した上で逃走
マネージャーが119番通報をした上で、会社に連絡をし その結果、押尾先生は解雇
警察は押尾先生を逮捕した
・一緒にいて死んだ女は豊田夏来
・浜崎あゆみとは、以前一緒に住んでいたほどの大親友(最近はつるんでなかったらしい)
・トヨタ自動車一族の令嬢
※ーニング&トヨタの圧力じゃ、そりゃ名前が出ないはずだわ。
| — | 押尾学ドラッグ致死事件の真相を拾ったので貼ります (via e-d-i-t) (via cutupradio) (via delic) (via reretlet) (via ryoz) (via jun69) (via konishiroku) (via petapeta) (via error888) (via msnr) (via sirchronofrost, sirchronofrost) (via yaruo, yaruo) (via nashi-kyo, nashi-kyo) (via takeshi-kura, takeshi-kura) (via hirotamaki, hirotamaki) (via edieelee, edieelee) |
長南 年恵(おさなみ としえ 1863年12月6日(文久3年10月26日) - 1907年(明治40年)10月29日)は、明治時代の霊能者、超能力者。現在の山形県鶴岡市出身。本名、登志恵(鶴岡市戸籍研究による)[1]。
20歳のころからほとんど食事をとらず、口にするものは生水程度であったという。また、空気中から神水などの様々な物を取り出すなど、多くの不思議な現象を起こしている。
長南 年恵(おさなみ としえ)は、1863年12月6日(文久3年10月26日)羽前国庄内高畑(現在の山形県鶴岡市日吉町[2])に、庄内藩士の長女として生まれる。20歳のころまでの記録は不明だが、1874年(明治7年)に鶴岡に小学校が開校した際には入学出来ず、子守奉公をしていたところ、次第に予言めいた言葉を口走る様になり、噂を聞きつけた住民の相談に乗るうち、奉公先から巫女として開業することを薦められたという説がある[2]。弟の長南雄吉は、大阪浦江にあった大日本蓄電池株式会社の専務取締役で、雄吉が見た年恵の20歳以後の超常現象などの記録を、後年、心霊研究家の浅野和三郎がまとめて発表している[3]。
1907年(明治40年)10月29日)死亡。享年(かぞえ年齢)45歳。しかし満年齢では従来44歳と思われてきたが、生年を旧暦で没年を太陽暦で計算するという矛盾から錯誤した年齢であって、太陽暦で正確に計算すると満43歳10カ月であった。2006年11月3日には年恵の没後百年をしのび「長南年恵100年祭」が、年恵の墓のある鶴岡市の般若寺にて行われた[2]。
成人してからも肉体的、精神的に少女のようであったという。また身辺には頻繁に神仏が現れ、会話をしたり、舞を舞っていたという。
元々小食であったが、20歳のころから全く食事をとらず、生水の他は生のサツマイモを少量のみという。
排泄物は殆ど無かったという。また汗や垢といったものも殆ど出ず、風呂に入らなくても髪や体はいつも清潔であったという。
空気中からとりだす神水は、密封した空の一升瓶の中に人々の目の前で満たしたという。この神水は万病に効くという。
べつに病人などではなく冷やかし等の目的の者と不治の病人には、神水は授からず、空瓶のままだったそうだ。
神水(霊水)の色について:赤、青、黄など様々な色があったそうだ。無罪となった裁判所での公判では、茶褐色。
1900年(明治33年)7月9日。全国紙新聞記者が懐疑の目を向け、目の前で霊水引寄せをしろと要求した。その結果、ひとりでに水が入ったのを認めざるを得ないという結論に至ったという[4]。
■逮捕、裁判
1895年(明治28年)、長南年恵は詐欺行為(神水を用いて、医師の資格なしに病気治療と称するを行ったとして)を行ったとして、逮捕された。山形県監獄鶴岡支署に7月から60日間勾留されたが、証拠不十分で釈放されている。この勾留期間中、様々な現象が起きたという。
勾留期間、一切の排泄物が無かった。入浴が許されていなかったが、常に髪は清潔であり、体臭も無く、良い香りがしたという。
勾留期間、一切食事を取らなかった。
完全に外部と遮断された監房内で、「神水」「お守り」「経文」「散薬」などを空気中から取り出したという。
長期の拘留生活で足腰が弱って当然なのに、一升瓶15本分もある水の入った大樽を軽々と運んだ。
収監者の中で、ただ一人蚊に刺されなかった。
複数の係官が不思議な笛の音を聞いたという。
1896年(明治29年)、2度目の逮捕、山形県監獄鶴岡支署に10月10日より一週間拘置される。
1900年(明治33年)、3度目の逮捕、大阪空堀町にある弟の長南雄吉の所に身を寄せている時8月ごろ、新聞記事から騒ぎが大きくなり、10日間拘置される。
1900年(明治33年)12月12日、この拘置に対して、神戸地方裁判所で再審が行われた。尋問後、裁判長が自ら密封し封印をした空きビンを渡し、空きビンに神水を満たせるかを詰問したところ、長南年恵はできるといったという。この実験の前に長南年恵は全裸にされ、身体を厳重に調べられ、密閉空間の別室に閉じ込められた。この別室で精神を集中した長南年恵は、わずか2分ほどで空きビンに神水を満たし、裁判長に渡したという。判決は無罪となり、裁判長はその水を持ち帰ったという[5][6][7]。
| — | 長南年恵 - Wikipedia (via petapeta) |